FC2ブログ

2020-08

GWですが、、、Stay Homeです。

約一か月ぶりの更新となってしまいました


世の中、毎日毎日、コロナばっかりでストレスが溜まりますねぇ
今年のお正月過ぎに中国の武漢市で新型コロナウイルスなるものが
発生したと聞いてから、まさかこんな状況になるとは夢にも思いませんでした。
最初はしばらくしたらウイルスも消滅していくだろうと気楽に考えていましたが、
消滅どころか今でも日に日に感染者数は増えていくばかりで、
終息の気配さえ見えません

ねね親父の会社も4月に入ってからずっと在宅テレワークで、
いまのところ5月10日までとなっていますが、間違いなく更に延長になる
と思われます。
医療崩壊、景気失速、経済活動停止などなど頭の痛い話ばっかりですが、
いまはまだ人との接触をできるだけ避けて、とにかく感染拡大を抑えるしか
ないんですよね。
ひとりひとりが意識を高く持って行動しないといけませんね。

前置きが長くなってしまいました。
そういうわけで、ねねなな家もずっと家の近所を散歩する毎日です
季節が外れてしまいましたが、近所の公園を桜を見ながらお散歩したときの
写真です





2_20200426210610274.jpg

コロナウイルスに負けず、今年もきれいな桜が咲きました

3_20200426210612809.jpg

お花見をしている人は居なくて、桜もなんとなく可哀そうに見えました

4_2020042621061384a.jpg

ねねと

5_2020042621063621b.jpg

ななも、

6_20200426210638d3f.jpg

なんとなく楽しそうな様子ではありませんでした

7_202004262106391be.jpg


8_202004262106416ff.jpg

コロナウイルスが早く終息してくれることを祈りつつ、
ねねとなな共々、しばらくStay Homeで頑張ります



ご訪問ありがとうございました
よろしければ、ねねとななにぽちっとお願いします!


にほんブログ村






サクラお散歩♪

世界的に新型コロナウイルスの感染拡大が止まりません

この週末は、東京都も首都封鎖(ロックダウン)を前提とした重大局面ということで、
不要不急の外出自粛が発せられ、各隣県も同調するような措置が取られて、
各地の街から人が消え閑散としている様子が報道で伝えられています。

この先どんな状況になっていくのか不安ばかりですが、
明るく楽しく乗り切っていくしかないと思いつつ、
早く終息してくれることを願うばかりです


さて、3月21日(土)の連休中日です

ねねとななを連れて青葉の森公園へお散歩に行きました 

009.jpg

ポカポカ陽気で歩いていると少し汗ばむくらいの暖かさです

001.jpg


桜の花も2~3分咲きです

006_202003291809293b0.jpg


011.jpg


015.jpg


020.jpg


春のお花は満開でした

005.jpg


024.jpg


026.jpg

一時間弱のお散歩でしたが、ねねとななも楽しそうに散歩しました



ご訪問ありがとうございました
よろしければ、ねねとななにぽちっとお願いします!


にほんブログ村

回想、、、そしていま思うこと。(終)

前々回、前回から長い記事になってしまいました。
今回で終わりにしたいと思います。


2019年1月18日、この年最初の抗がん剤投与の日です。
朝から病院に一緒に行こうとしたのですが、ななオカンはひとりで行けるから
大丈夫と言い張るので、私は会社へ行くことに。
とても寒い日でした。
会社に着くとななオカンから、『手袋とマフラーを持って出るのを忘れた。』とのメール。
そして昼頃今度は、『財布を忘れた。』と。
なんかイヤな感じがしました。
抗がん剤の副作用に健忘症が発症することがあると聞かされていたからです。
JRのSuicaに何千円かチャージしてあるので、お昼ご飯は病院内のローソンで
大丈夫、交通費も大丈夫、病院代と薬代はツケでお願いするからと連絡があり、
その日は無事に帰ってきました。

私もその日帰宅してななオカンの顔を見た時に、何故か少しホッとした気持ちに
なったのを憶えています。
ただ、病院で先生からは1月29日に家の近くにある「東京ベイ先端医療幕張クリニック」と
いうところで、脳のMRI検査を受けてきて下さいとの指示があったとのこと。

IMG_8100.jpg



そしてその二日後からいつもの副作用が始まりました。

まさかこの副作用から急激に容態が悪くなっていくとは
思いもしませんでした。

副作用の症状が出始めて三日、四日、五日、、、と経ち、
症状が退くどころか、日に日に悪化していき、起き上がることも
立ち上がることもだんだん少なくなっていきました。
時折、酷い頭痛に見舞われたり、立ち上がっても眩暈でふらつき、
ベッドで横になっている時間が多くなってきました。
夕飯の支度が出来なくて、毎日『ごめんね。』と言われるたびに、
何もしてやれない自分が腹立たしかったです。
この頃から、左耳が聞こえづらいとも言い出しました。

1月29日の検査も、近くだから自分ひとりで行けるから会社に行ってと
言い張って仕方がなかったので私は会社へ行き、ひとりで行ってもらうこと
にしました。
本人からすると、なるだけ私に負担をかけさせないようにと思っていたのでしょう。
帰宅して大丈夫だったか尋ねると、病院まで歩いて行こうとしたらしいのですが、
やはり眩暈がするのでタクシーを呼んだそうです。
ですが、部屋からマンションのエントランスまで行くのに相当時間がかかり、
タクシーをだいぶん待たせてしまったようでした。
帰りも病院でタクシーを呼んでもらい帰ってきたのですが、
マンションのエントランスから部屋までたどり着けず、
通路でうずくまっていたところ、通りがかりの同じマンションのどなたかに
助けて頂いて部屋まで戻ってきたと聞かされました。


1月31日、大学病院から『明日、ご主人と一緒に病院へ来てください。』と、
急な呼び出しの連絡。

2月1日、ななオカンを連れて病院へ。
そこで主治医の先生から告げられた衝撃的な事実でした。

抗がん剤が効いていない。
首から下の身体には薬の効果が見られるが、1月29日の脳のMRI検査で
脳への広がりが急速に進んでおり、脳内に腫瘍が散らばる脳内播種を
起こしているいるとのこと。
頭痛や耳が聞こえなくなっているのも、これが原因であると。
このまま入院してもらい、抗がん剤を強いものにしてすぐに治療に入りたいとの
ことでした。

入院の手続きを終えて、私はななオカンの着替えや準備のために一旦帰宅。
病院から自宅へ戻る間、入院の支度してまた病院へ行く間の記憶がありません。
ただ、、、覚悟をしたのはこのときだったと思います。

私の妹に九州から来てもらい、看護の手伝いをお願いしました。
家のこと、ねねとななのお世話をしながら毎日病院へも行ってくれました。
私も時間が許す限りフレックスや、看護休暇を使い病院へ通いました。

入院してからは、どんどん耳が聞こえなくなり筆談となりました。
左目も焦点が合わなくなりました。
耳が聞こえなくなったことで、話すこともままならなくなりました。
病院も懸命の治療をしてくれたのですが、激しい頭痛がななオカンを襲うことが
多くなり、あまりの痛みにベッドの上で激しく暴れることもありました。
妹はそれを見るのが一番辛いと言ってました。

2月15日、先生がご主人に話があると言われていると妹から連絡を受け病院へ。
先生からの説明は、一番強い抗がん剤を使用しているが、癌の進行を止められません。
脳内播種が広がっています。
これ以上の薬はありません、、、と。
私もしばらく何も答えることが出来きませんでした。
気持ちを落ち着けるのにどれくらい時間を要したかはわかりません。

『苦しまなくていいように、痛みだけはとってあげてください。』
とだけ先生にお願いしました。

その後は鎮痛剤の効果で、頭の激痛も訴えることもなくなったのですが、
日に日に衰弱していっているのは明らかでした。
そして、ななオカンから毎日来るLINEメールも2月18日が最後となりました。
LINEメールの内容はいつも私に対する気遣いと謝罪、ねねとななの様子、
妹への感謝の言葉ばかりでした。

鎮痛剤の副作用で意識も朦朧としているのか、目を開けている時間も日に日に
少なくなっていきましたが、まだ誰がいるのかは分かっているようで、
呼びかけには反応していました。

2月21日、無呼吸になる症状が出始めているとのことで、病院からすぐに来てください
との連絡。
15:30頃病室へ到着し、ななオカンの手を握り呼びかけると、
目を開けてニコッと微笑んで、すぐにまた目を閉じてしまいました。

病院からは、今日からご家族の方に泊まって頂いたほうがいいと言われ、
私が泊まり込むことにしました。

一晩付き添っている間も、時折呼吸をしなくなることがあり、そのたびに
手を握り呼びかけました。
何度か呼びかけるとスースーと呼吸を始めます。

2月22日の朝、看護師さんから今朝方からだいぶん呼吸も安定しているので、
今のうちに朝食を済ませてきてくだいと言われ、朝食を済ませて病室に戻り、
PCを立上げて今日の仕事の連絡などをしている内にまた無呼吸状態がでるように
なりました。
無呼吸状態になって呼びかけて、呼吸を再開するまでにだ徐々に時間がかかるように
なってきました。
呼吸が再開しても、またすぐに無呼吸になる間隔がどんどん縮まって、
呼びかけの反応も弱くなっていきました。
何十回、いや何百回呼びかけたかわかりません。

そして10時12分、ななオカンは静かに息を引き取りました。

享年52歳、短い生涯だったと思います。
2001年9月にななオカンと結婚して約18年、共に生きてきました。
楽しかったこと、辛かったこと、ちょっとしたことでケンカしたこと、
いろんなことがありました。
自分のことよりも、私の体調や健康のことばかりをいつも気にしてくれていました。
家のことはほぼ全部ななオカンに任せっきりでした。
もっと言うことを聞いて安心させればよかった、もっといろいろと
手伝ってあげればよかった、もっと楽させてあげればよかった等々、
悔やむことばかりです。
特に家事のこととなると、ななオカンがいてくれた有難みを今になって
身に沁みて感じています。

2016年2月にななオカンのお母さんが他界、4月に私の母親が他界しました。
その時も悲しかったのですが、この悲しみは母親を亡くした時とは比較に
ならないほど悲しいです。
一周忌を迎え、納骨も済ませ、気持ちの整理をしたつもりですが、
やはり何かにつけてななオカンのことを想い出し、面影を偲ぶ毎日です。

IMG_2143.jpg


ななオカンが旅立ってから、寝室ベッド横のサイドテーブルの引き出しに
一冊のノートが入っていました。
そこには、ねねとななのプロフィール、性格、食事の与え方、散歩の仕方、
一日の行動など詳しく書かれていました。
多分、自分がいなくなったあと、私が出張や帰りが遅いときのことを心配して、
誰かにねねとななの面倒をみてもらわないといけない時のために、
ベッドで少しずつ記していたものだと思います。
ななオカンの携帯のお気に入りには、ペットシッターさんの連絡先も
残されていました。
子供のいない私たちにとっては、ねねとななが子供のようなもので、
私自身、ねねとなながいたからこの一年なんとか頑張れた部分もあります。
正直なところ、ねねとななのお蔭で私も毎日の生活が荒れずに済んでいると
思っています(笑)。
ねねは今年12歳、ななは今年10歳になります。
一般的な犬の寿命から言えば、ねねとななも老犬になっていると思います。
ななオカンの分までねねとななに愛情を注いでいかなくてはならないと思っています。

1_20200308172041da7.jpg


最後になりましたが、お世話になった某大学病院のみなさん、
特に看護師のNさんは、ななオカンが初めて入院したときの担当看護師さんで、
入院を繰り返すたびに担当でもないのに空き時間に様子を見にきて頂いたり、
ななオカンの最期も一緒に看取って頂き、一緒に涙を流してくれました。
本当にありがとうございました。
それから、
ななオカンの職場のお友達のみなさん、
ねねとななを通じてお友達になったみなさん、
病院へ自宅へと何度もお見舞いに来て頂き、励まして頂き、
本当にありがとうございました。
ななオカンが旅立ったあとの今も、いつもあたたかいお気遣いを頂き
本当にありがとうございます。
そして、ななオカンの地元大阪のお友達のみなさん、
本当にいつもありがとうございます。
ブログでもたくさんの方にお悔みのお言葉、応援、励ましのコメントを
頂きました。
この場を借りて改めて心よりお礼申し上げます。

思った以上に長い記事になってしまいましたが、
一年が経ち、私自身の区切りとしてこの記事を書くことにしました。
この先も、ななオカンのことを忘れることはないでしょう。
いつも天国から見てくれていると思いますので、
これからも元気で明るく、楽しく、ねねとななと暮らしていきたいと思います。

IMG_2275.jpg


今の時代、二人に一人が癌にかかる時代ですが、
医療は日に日に進歩しています。
発見が早ければ早いほど癌は治ります。
どうか皆さん、日ごろの健康管理には十分ご留意下さい。

今日、3月18日はななオカンの誕生日です。
この日までに書き終えることができてよかったです。
最後まで読んで頂きありがとうございます。
今後ともどうぞ ねねとなな をよろしくお願い致します。



ご訪問ありがとうございました
よろしければ、ねねとななにぽちっとお願いします!


にほんブログ村

回想、、、そしていま思うこと。(2)

前回記事からのつづきです。

記事を書いているうちにどんどん長くなってしまいすいません


2016年8月1日、再入院。
経口薬である分子標的剤を飲むだけだったのですが、主治医の先生から
どんな副作用が現れるか判らないので、万一急変したときにすぐに対応出来るよう、
最初は入院して様子を見ましょうとのことでの入院となりました。
首の付け根のところに出来ていた腫瘍の放射線治療も始めました。

入院して3、4日目くらいから薬の効果が出始め、みるみるうちにななオカンの顔色が
良くなっていくのが分かりました。
身体の痛みで起き上がるのも歩くのも辛そうにしていたななオカンが、
普通に歩いて病院内をウロウロするようになったのです。
食欲も日に日に増して、元気になっていくのがはっきりと
わかりました。

それ以上に驚いたのが、入院して一週間が過ぎたあたりから、
胸部レントゲンで肺に移っていた癌の影が薄くなっていたり、小さくなっていたり、
肺の中に飛び散っていた小さな影は見えなくなっていたり!
主治医の先生曰く、薬がバッチリ働いていて、懸念していた副作用も出ないということで、
8月12日に退院、あとはこの薬の服用を毎日続け、毎月検査をしていきましょう
ということになりました。
全身の骨にも転移していたため、骨が脆くなっていて骨折しやすいので
カルシウム剤も一緒に服用して、特に歩く時は躓いたりしないように
十分気をつけてくれとのことでした。

分子標的薬の効果は絶大で、その後は、炊事・洗濯といった家事や、
ねねとななの散歩も、病院への通院も一人で行けるようになり、
普通の生活が送れるようになりました。
いろんなところへ出来るだけ一緒に出掛けるようにしました。
近場ですが、泊りの旅行にも行きました。
どこかでななオカンも私も癌が治ったんじゃないかと思ったりもしました。

2_20200308172044419.jpg



しかし、癌という病魔はななオカンの身体の中で静かに生き続けていました。


2018年6月、毎月の通院検査でほとんど写らなくなっていた
魔の影がまた写るようになったのです。
分子標的薬の効果が落ちてきているとの先生の言葉。
いつか薬が効かなくなるとは理解していましたが、
一気に現実に引き戻された気分でした。
ななオカン自身もこの時に自覚症状はほとんどありませんでしたが、
今まだ体力があるうちに抗がん剤治療を始めましょうと主治医の先生から言われ、
7月4日入院することになりました。


抗がん剤投与を受けるにあたり、いろいろな副作用の症状が出ることを
聞かされました。
副作用の症状は毎回同じ症状とは限らず、その時その時で前回とは違う
症状も出るそうです。
極めて稀なケースですが、抗がん剤で容態が急変し命を落とすこともあるとも
言われ、正直とても怖かったです。
ななオカンはもっとそう感じたことでしょう。
また、女性にとっては一番大事な髪の毛が抜けることをななオカンも
気にしていました。
『治ったらまた生えてくるわ!』と気丈に振る舞ってはいましたが。。。


IMG_0812.jpg


そして一回目の抗がん剤治療が始まりました。
心配していた副作用もこの時はちょっとした腹痛くらいで、
大きな副作用の症状は出ませんでした。

副作用が重くなかったということもあり、今後は三週間毎に
通院での抗がん剤投与を受けることになりました。
私もななオカンの抗がん剤投与の日は会社に休みをもらい、
出来る限り一緒に病院に付き添うように努めました。

7月27日、二回目の抗がん剤投与に通院。
翌々日くらいから副作用で吐き気がひどくなり、更に腹痛。
8月1日、激しい腹痛と下痢、吐き気が続くので病院に連絡したところ、
「救急車を呼んですぐに病院へ来てください!」 と言われたと
ななオカンから緊急の電話がありました。
仕事を切り上げて病院へ急行、救急治療室に入ると、お腹をおさえて
ベッドの上で呻いているななオカンがいました。
結局このまま入院することになったのですが、4日に退院することが
できました。

その後も、三週間毎の抗がん剤(3種)治療と、血液検査、CT検査、MRI検査
腫瘍マーカーなどが続きました。
抗がん剤投与後の副作用は、投与した翌々日頃から出始め、三日間くらい
続きます。倦怠感と腹痛がパターンになってきました。
気にしていた脱毛はあまりひどくはありませんでしたが、前頭部のところが
抜けやすくなってきたとななオカンは言ってました。


そんな生活をしながら年末となり、2019年の新しい年を迎えることができました。
二人で初詣に行き、病気平癒の祈祷も受けました。
この頃から、たまに頭が痛いと言うことがありました。


IMG_2400_202003121810029ea.jpg



また次回へ続きとさせて頂きます。



ご訪問ありがとうございました
よろしければ、ねねとななにぽちっとお願いします!


にほんブログ村

回想、、、そしていま思うこと。(1)

先月2月22日は、一年前に旅立ったななオカンの命日でした。

あっという間の一年だった気もしますし、
もう一年経ったのかという気もしますが、
私自身漸く決心をして、地元九州へななオカンを連れて帰り
菩提寺で一周忌の法要を営んで頂き、納骨してきました。
これで気持ち的には一区切りをつけた気になっていますが、
なんとなく離ればなれになったような感じで、
やっぱり寂しい気持ちが勝ります。


話は長くなりますが、、、
回想、そしていま思うことを記したいと思います。


2015年夏頃から、肩こりや腰痛をななオカンが訴えるようになりました。
元々、甲状腺機能低下症の持病があったななオカンは、
毎月かかりつけの医院に薬をもらいに行っていたので、
そこで肩こりや腰痛が酷いことを相談していましたが、
更年期からくる肩こりです、腰痛ですと言われて湿布薬をもらって貼っていました。

それでも状態は良くならず、枕が合っていないのかもと言って枕を買ったり、
マットレスが合わないのかもと言い、マットレスを買い替えたりしていましたが、
状態は悪化するばかりでした。

この時はまだ会社勤めをしており、日によってはかなり辛そうな感じで
仕事に行っていました。

毎月通っていた医院で、大きな病院で精密検査を受けたいので紹介状を書いて欲しいと
何度か頼んだようですが、「肩こりで精密検査?」などと言われ、
対応してもらえませんでした。

通院したある日、たまたま某大学病院の若い先生がインターンシップ
かなにかでその医院に来ていらしゃって、その先生に相談したところ、
「ウチの大学でよければすぐに検査しますよ。」と言って頂き、
2016年7月8日、その大学病院で検査を受けることになりました。


7月8日検査当日、問診・体の痛み箇所の確認・血液検査・レントゲンなど
一通りの検査を終え、伝えられたことが、、、
『肺癌である可能性がかなり高いです。』
『詳しい検査をすぐにやりたいので、すぐに入院して下さい。』
との言葉。
『癌、、、まさか、、、えっ?!』 というのが、そのときの私たち二人の思いで、
これからどうしたらいいのかということしか考えられなくなりました。


翌々日の7月10日から検査入院。
内視鏡検査・病理診断、骨への転移状態を調べるPET検査、
脳への転移を調べるMRI検査、左肩にできた腫瘍を放射線治療するための
ランマーク検査など数日間に亘る検査の日々でした。


検査入院から退院後、検査結果が判明する前に、
「自分が癌になるとは、、、」と、落ち込むななオカンを半ば無理やり
伊豆旅行に連れて行きました。
旅行中も肩や腰の痛みであまり楽しくはなかったと思います。
どちらかと言えば私の方が癌と聞かされて、
今のうちにと思って、焦っていたのが事実です。

4_20200308172108977.jpg


そして7月29日、検査結果の説明を聴くために再び大学病院へ。

宣告された病名は『肺腺癌』。
それも、遺伝子変異ALC型と言われるものでした。
いろいろ受けた検査の結果、病魔はすでに右脳、肝臓の他、
全身の骨にまで転移しており、ステージⅣとの衝撃的な宣告でした。

ななオカン共々、現実を受け止めるのに時間を要しました。
「まさか!」という思い、
「なんで?」という思い、
「これからどうすればいいのか?」という思い、
いろんなことが頭の中でグルグル駆け巡り、
頭の中が真っ白になるという表現を体現した日でした。

その後引き続き、主治医の先生から予後のことについてのお話がありました。
ななオカンの肺腺癌は、遺伝子が変異するALC型ということで一般的には
珍しいタイプの肺腺癌でした。
全身に転移してしまっている状況下、外科的手術で切り取ることは不可能。
化学療法(抗がん剤投与)や放射線治療もほとんど効果が望めないとのこと。
ただ、どこまで効果が得られるか判らないが、遺伝子療法を試して
みてはとの提案を受け、それを受けることにしました。
先日受けた内視鏡検査で採取した癌細胞を遺伝子分解して、
どの遺伝子が変異して悪さをしているのかが特定できており、
また、たまたまその遺伝子に適合する薬が最近開発されているとのことでした。
分子標的剤と言われる経口薬でした。

ただ、この薬は治療薬ではなく、変異して悪さをしている遺伝子の動きを封じる薬で、
2~3年すれば遺伝子に抗体が出来て、薬の効果が得られなくなるとのことでした。
この薬が効くかどうかは試してみないと判りませんが、2~3年後に効果が表れなくなって
来た時に抗がん剤投与といった化学療法を含む次の治療法を考えましょうということでした。
開発されて間もない薬なので症例数が少なく、著しい効果があった例もあるし、
全くが効果が得られなかった例もあるけれど、効果ありの報告が一件でもある以上、
使ってみない手は無いとの主治医の先生からの奨めでこの薬にかけてみることにしました。

その日いろんなことを聞かされて家に帰る車の中で、
助手席でまだ呆然としているななオカンにどんな言葉をかけていいのか分からず、
励ましの言葉ひとつ掛けてあげられなかったことが悔やまれます。

結局、車の中では一言も交わさなかったと思います。
家に着いてからは、「ごめんなさい。。。」と一言だけ言って、
寝室に閉じこもったななオカンの後姿がいまも思い出されます。

その日は一晩中眠ることが出来ず、いろんなことを考えました。
多分、ななオカンも眠れなかったと思います。

5_20200308172109e6b.jpg


治療に専念するため、ななオカンは勤めていた会社も辞めました。
急な退職となり、会社の方々には大変ご迷惑をお掛けしました。


話が長くなりすいません。
この続きは次回記事でまた書かせて頂きます。



ご訪問ありがとうございました
よろしければ、ねねとななにぽちっとお願いします!


にほんブログ村

NEW ENTRY «  | BLOG TOP |  » OLD ENTRY

プロフィール

ねね親父&ななオカン

Author:ねね親父&ななオカン
『ねねとななの写真館』へようこそ!
ロングコートチワワの“ねね”と“なな”の二ひきのチワワ姉妹のお出かけ日記です。

最新記事

カテゴリ

お散歩 (63)
Dog Cafe (22)
わん友 (54)
千葉県 (37)
神奈川県 (7)
茨城県 (9)
軽井沢 (3)
山梨県 (7)
大阪 (6)
九州 (14)
埼玉県 (7)
東京都 (7)
岡山県 (2)
伊豆 (6)
那須高原 (7)
その他 (43)
未分類 (0)

リンク

このブログをリンクに追加する

月別アーカイブ

FC2カウンター